神田 笹鮨

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歴史 笹鮨の歴史

 初代は取出藤九郎といった。安政四年に三重県飯南部大河内村大字笹川小字寺井にて
生まれる、九番目の子なので藤九郎。17歳で上京し、本所の“興兵衛鮨”に出前待ち
として奉公、その時の兄弟子に認められ程なくして独立、屋台の鮨屋を始めた。場所は
黒門町から大伝馬町であった。

 二代は取出政一という。明治二十八年東京日本橋区新右ェ門町一九番地(現、中央区
日本橋一丁目辺り)にて出生。この時点ではまだ屋台を引いて商っていた。そして明治
三十六年二月十三日、日本橋区青物町三十一番地に引越し、笹鮨を構えた。住居と店が
一緒のたたずまい。この後明治四十年に取出キョウジが生まれる、年の離れた弟だった
がこのキョウジが兄政一の仕事を手伝い、後の神田笹鮨を始めるに至る。

 二代政一は浅草にあった“みさの鮨”で修行していたが、志半ばで初代藤九郎が他界し、
家業を継ぐために十八歳で笹鮨を継承。時に大正元年であった。この時代の鮨は大体一個
五厘で、海老や穴子の上ネタで一銭、今より握りが大きかったそうである。一晩に一円も
売上があれば生活が楽になったそうだ。当時の標準的な価格は一人前海苔巻き一本、握り
五貫で十五銭だったそうだ。

 弟のキョウジはいままで手伝ってきた兄の元を出て、昭和九年に二十九歳で独立した。
場所は日本橋。この後に大東亜戦争があり、日本橋一帯は焼け野原になったので、戦後
昭和二十三年神田の地に移転した。現在の神田笹鮨の始まりである。

 兄政一には男児がいたがこの長男は鮨屋にならず、日本料理の板前となって、日本橋で
料理屋を商っていた、その店の一部を鮨カウンターとして父親の政一の鮨を提供していた。
ところが政一が他界すると笹鮨を継承する者がいなくなった、そこで神田笹鮨の始祖キョウジ
が本家からの伝統を引き継ぎ、ここに笹鮨二代目を名乗るに至る。
平成の現在、残念ながら日本橋にあった料理屋“笹”、
そして日本橋“笹鮨”は途絶えてしまった・・・。

 三代目(現在主)取出一郎は昭和十一年に日本橋で生まれた。中学生の頃から家業を手伝
い二十歳になるころには一人前の職人として、父キョウジを助け、つけだいに立っていた。
昭和三十年代から四十年代のころは住み込みの若い衆が四、五人いてその若者らをまとめ
上げ神田笹鮨の最盛期を乗り切ってきたのである。当時の若い衆は皆独立して頑張っている。

 四代目(予定)の取出隆二は昭和四十五年に生まれた。三年間日本料理屋で修行し、
さらに二年間通いで勉強を重ね、今に至る。人間的にはまだ未熟である。

 五代目候補は二人いる。長男と次男の二人だ。いや・・もしかしたら、長女・次女の
女の子いずれかがやることになるのかも・・・。それでも良い、伝統と技術は受け継ぐものであるから。



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 下さいました。ご本人の厚意でHPに掲載
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