以前こちらのコラムにて長い間取引をしていたお米屋さんが廃業してしまったことを書きましたが、なんと!またもや一つの業者が廃業してしまいました。
それは豊洲市場にある乾物屋なのですが、築地時代から何年も何十年もお付き合いしてきた卸業者でした。乾物屋なので弊店が買うのは干瓢(かんぴょう)と冬菇(どんこ/干し椎茸)です。
築地時代には齢90を超える老女が店を仕切り、パソコンを操り、キビキビとしておりました。中で働いている50代・60代がまるで丁稚の小僧さんの様でした(苦笑)
そのうち何があったかは存じませんが経営状態が替わり、スーパー御婆さんを始めほとんどの従業員がいなくなり、それでも一人だけ残った人がいてその人を頼りに買い物を続けていたのです。ほどなくして市場は豊洲に移転しました。
移転後も同じ名前で店を続けてくれていたのでこちらも安心して買い物を続けておりましたが、昨年末・・・「申し訳ないけど年内でやめちゃうかも・・・」
「え?やめちゃうの?ほんとに??なんで???」
なんで?なんて聞いたところでそんなのはあちらの会社の都合でして、一従業員であるその馴染みの人に聞くことは野暮でしかありません。
「まだはっきりと決定したわけじゃないんだけど、おそらく店は閉めちゃう」
「う~~ん・・・そちらの会社都合で店舗を閉鎖するのは仕方がないとしても、今後うちは干瓢と椎茸をどこから買えば???」
「干瓢は同じフロアにある***さんで扱ってくれることになった、椎茸は・・・」
「あ、干瓢は大丈夫なのね、良かった。で?椎茸は?」
「悪いけど無い・・・」
「え~~~~~~~、それは困るなぁ、親会社でも扱わないですか?」
(こちらのお店はとある会社の傘下に入ったのですね、築地時代に。そしてその親会社は築地の場外に店を構えているとのこと)
「椎茸は扱わないと聞いている」
「むぅ・・・そっかぁ・・・この椎茸のメーカーは通販などで小売してくれますかね?」
「やってないし、しないと思う」
「あぁ、困った。わかりました。長い間ありがとうございました、お疲れさまでした」
これ以上くらいついても店の人も答えようが無いと思い、ここで引き下がります。
干瓢の宛ては付いたので一安心ですが、椎茸はどうしたものか・・・。
この様に今までずっと同じ店で同じものを買っている身としては同じものが手に入らなくなるのが一番ダメージが大きいのです。
当コラム"焼き海苔"の項でも記しましたが、多少の値が上がっても同等の品物が手に入るならば躊躇しません。
しかしいくらお金を積んでも手に入らなくなるのは弊店の味の均衡を保つことが難しくなるのです。
椎茸であれば(冬菇であれば)何でもよいわけではありません。
これは食品ばかりでなく世の中のあらゆる事に当てはまります。
ある酒造会社は自社で仕込む「たる酒」のための酒樽を今までは樽を作るメーカーに頼んでいたそうですが、その樽メーカーが廃業するにあたり他所からの調達も不可能となった時点で酒造会社自ら樽の製造まで手掛けるようになったそうです。
他にも細かいことを挙げていけば切がありません。木造家屋の修繕にも一苦労します。
窓枠がサッシが標準の今日では建具屋さん(これも数が少なくなっている業種ですね)に頼むのも一苦労です。
〆魚を仕込むときに使う「盆ざる」という道具がありますが、これも欲しいサイズが無く、仕方なく一回り小さいものを買わざるを得なかったことがありました。
世の中なんでも便利になる事は結構ですが、合理化やコストパフォーマンスなどの理念のもとに様々なモノ・事が縮小及び廃止になるのは正しい事でしょうか?
ノーベル化学賞を受賞(2025)した北川進氏の言葉に「無用の用」があります。これこそがモノの本質をとらえていると感じます。
さて、弊店の椎茸ですが只今絶賛探し中です。こちらの希望に叶う冬菇を扱うお店を探しているのです。一軒目星をつけている卸はあるのですが、まだ買っていないのでなんとも言えません。
買ってみて、仕込んでみて、食べてみて・・・道のりは長いですね。
今後も椎茸や干瓢等の乾物ばかりでなく、その他の食材でも起こり得る心配事です。
今から様々な対策を練らなければならないのでしょうか。気が重たいですね。