「ねぇ、これからも取引先に頑張ってもらうためにも、手拭いやタオルはもちろん、暖簾(のれん)屋さんにも定期的に注文を出した方が良いんじゃない?」
突然、女房がそんなことを言い出しました。
「ん?? 暖簾を定期的に作るの? まだダメになってないのに?」
「そう。だって、そうやってお仕事を出すのも、取引しているこちら側としての『義務』……というか『務め』じゃないかしら。とにかく無くなってほしくないから、少しでも注文を出した方が良いと思うの。ウチ1軒だけが出したところで、焼け石に水かもしれないけれど」
「そうねぇ……」
筆者が幼少の頃、店は祖父が全盛期でした。
実はその時代、暖簾は毎年作り直していたのです。
それまで使っていた暖簾が全く綺麗でまだまだ使えるにも関わらず、毎年「冬の暖簾」と「夏の暖簾」を新調していました。
今思えば昔の職人気質と言いますか、祖父たちの世代にとっては、それが当たり前だったのかもしれません。
「新しい暖簾で新しい年を迎える」――そんな粋な気構えだったのでしょう。
しかし、祖父が鬼籍に入り父の時代になると、「毎年作り直すのはもったいない」ということになり、よほど色落ちしたり破れたりしない限り、現行のものを使い続けました。
これは別に、父の代になって急にコストパフォーマンス(コスパ)を求め始めたとか、職人としての気質が足りなかったわけではありません。
ごく自然にそういう流れになったと記憶しています。
なぜなら、祖父の代に作った暖簾が何本も何本もストックされていたからです。
もったいないと思うのは当然のことでしょう。
父の代では、いよいよ暖簾が傷んできても、昔作って保管してあった暖簾が沢山ありました。
それを順繰りに使っていけばよかったため、その間、暖簾屋さんへ新調の注文が行くことはありませんでした。
ですが、暖簾屋さんには他の仕事もあり、細々と注文を出していました。
それが“暖簾の洗濯”という注文です。
暖簾屋さんには専門の職人さんがいたため、クリーニングをお任せしていたのです。
そんな時代がしばらく続きました。
時が経ち、当代(筆者)になってからのことです。
いつものように衣替えをして暖簾も掛け替えたので、暖簾屋さんへ連絡し「暖簾の洗濯をお願いします」と伝えると……。
「申し訳ありませんが、暖簾の洗濯は今回を最後にさせていただきたく……」
「えっ!?」
「弊社の暖簾の洗濯担当者が高齢になり、もう続けられないと申しておりまして……」
「あら~……そうですか……え~っと、では今後はどうすれば良いですか?」
「大変申し上げにくいのですが、ご自身で洗っていただくほかありません。他に受けてくれる業者も無くて……」
「わかりました。では次回、詳しい洗濯方法を教えてください」
このようなやり取りがあり、以降、暖簾は自分たちで洗うことになりました。
だからと言って特別な薬剤や難しい作業が必要なわけではなく、普通に押し洗いするだけなのですが、まぁ大変といえば大変です。
そしてこの件以来、女房は一抹の不安を抱えていたようで、それが冒頭の「暖簾を定期的に注文して作ってもらう」という発想に繋がったのだと思います。
そして、運命のその時が訪れます。
「暖簾屋さんへ連絡した? 早めにしてくださいね」
「あぁ、そうだったね。分かった、明日にでも電話してみるよ」
翌日――。
「あれ? 留守電になるな……なんでだ?」
少々嫌な予感がします。時間を置いて再度掛け直してみます。
「あれ? また留守電だ。まぁいいや、用件を伝えておけば折り返してくるだろう。『あ、神田笹鮨です。ご相談したいことがあるので折り返しお電話ください』……これでよし」
しばらくすると、暖簾屋さんから電話が掛かってきました。
そこで、衝撃の発言が飛び出します。
「あ、笹鮨さん? 申し訳ないんだけど……実は去年の9月で廃業していて……」
「えぇぇぇぇ!!?????」
「いえね、うちの職人さんたちがみんな80代になってしまって、これ以上は続けられないということになりまして……」
「あらら……うわぁ~、そうだったんですね……。えっ、ではうちとしてはどうしたらよいですか? 同業他社さんなどをご紹介いただけますか?」
「それがですね……弊社はデザインから設計、染色、縫製まで全て自社一貫作業でおこなっていたため、他社さんとの横の繋がりが無いんです。そのためご紹介ができなくて……」
「あら~……そうですか……どうしたら……」
「一般的になりますが、台東区の合羽橋(かっぱばし)道具街にある暖簾屋さんへお願いするか、あとはネットで注文するかですねぇ……」
「そう……ですか……。分かりました。これ以上御社を困らせても悪いので、あとはこちらで何とかします。廃業は大変残念ですが、これからもお元気で……今まで本当にありがとうございました」
「いえ、こちらもご連絡も差し上げずに廃業に至ってしまい、大変申し訳ありませんでした」
また! またですよ!! 取引先が無くなる!!
米屋、乾物屋に続き、暖簾屋まで
こうして古くから培ってきた老舗・職人の店がどんどん姿を消していく。
すると、弊店のように昔ながらの暖簾を守り続けている店は本当に困るのです!!
この悲しみ、怒り、やるせなさ、どこへぶつければいいのか……! 血涙が出そうです。
時代の流れと言ってしまえばそれまででしょう。
これまでにも弊店には直接関係ないとはいえ、世の中からどんどん減っている業種は多々あります。畳屋、建具屋、桶屋など、枚挙に暇がありません。
しかし、ここで最も肝要なのは“本物が消えていく”ということです。
暖簾に限って言えば、現代では伝統的な「染め物(職人染め)」の暖簾は姿を消し、機械で印刷された(プリント)ものが主流とのこと。
暖簾の仕立て・縫製にも様々な伝統技術や手法があるそうですが、今やそうした丁寧な職人技で作られている暖簾は皆無に等しいとも聞きました。
「本当の本物の鮨」を商っていると自負している身としては、まがい物の暖簾を店頭に掲げるなど言語道断。
身を切られるよりもつらいことです。
暖簾は店(たな)の命。
「暖簾を守る」という言葉には、代々店を続けるという意味だけでなく、仕事の質やこだわりを維持し、店にまつわる伝統や暖簾分けの精神を時代に流されず、軸をぶらさずに守り抜くという様々な深い意味があると考えています。
これまでお世話になっていた暖簾屋さんにも、職人の知恵や知識をたくさん教えていただきました。
そうした貴重な技術や知識を継ぐ者が途絶えてしまうのではないか――という強い危機感を抱いています。
しかし、そんな中で悪いことばかりではありませんでした。
筆者が無闇矢鱈と憤っている間にも、しっかり者の女房はすでに次の手に打って出ていたのです。
新たに伝統的な染め物屋さんを探し出し、そこが暖簾や手拭いなどの制作を扱っていることを突き止めていました。早速その店舗(本社は北海道のようですが、東京の新橋に出店がありました)へ赴き、直接相談してきたのです。
その結果、新たな暖簾を正当な製法、正しい染め方、こだわりの生地で作ることが可能と分かり、無事に注文を出すことができました。
長年馴染みの深い取引先が無くなっていくのは、本当に寂しく切ないものです。
「お前も先に行ってしまうのか……俺だけが生き残ってしまって……」などと、まるで戦場の兵士のような心境になります。
その一方、新たな職人・業者が見つかったことは大変な「僥倖(ぎょうこう)」と言えます。
ですが、それはたまたま代替となる素晴らしい業者が存在していたからに過ぎません。
いつもいつも都合よく代わりに本物を作ってくれる業者が現れるとは限らないのです。
願わくば、これ以上日本の伝統文化や職人技術が失われないことを切に願うばかりです。