弊店の創業は日本橋。
店を構えたのが明治36年、それ以前から初代は屋台を引いて鮨業を営んでいたので本当の創業年は不詳です。
暖簾の系譜としての三代目となる皛次は昭和21年に日本橋を離れ神田に「神田笹鮨」を立ち上げます。
その時から色々な地元業者と付き合いがありましたが、徐々に減っていきました。
酒屋・桶屋・白衣屋・クリーニング屋等々・・・時代の流れと言えばそれまででしょうが、大手事業者に飲み込まれてしまうと細かいところ、所謂「かゆいところに手が届く」ということが利かなくなったりします。
それでもなんとか地元で営んでいる業者を見つけて取引をお願いしてきました。
お陰様で今日の弊店の仕事が成り立っています。
そんななか突如悲しい報せが入りました。
三世代にわたってお付き合いをしてきた地元のお米屋さんが廃業するというのです。
諸々の事情があることは推察しますが、それにしてもあまりにも悲痛です。
今後、弊店はどこから米を仕入れればよいのでしょうか。。(目下鋭意検討中)
寿司屋にとってお米は生命線です。
もちろん魚も必要ですが、それ相当に良い米が手に入らないことには「鮨」が作れません。
海苔の質が落ちたときも心穏やかではありませんでしたし、それ以前では扱っていた塩(当時の事ですので、所謂「闇塩」でした)が入手できなくなった時も相当焦り、後継塩を探すのに懸命になってこともありました。
そんな苦難を乗り越えたと思った途端、お米が・・・。
豆腐も牛乳もお米も今では全てスーパーマーケットで揃えられます。
その影響で個人店が淘汰されていくのが現代の経済なのでしょう。
実に世知辛いです。
地元のお米屋さんでは注文を受けてから玄米を精米して持ってきてくれます。
スーパーマーケットで売られているお米は精米してからそれなりの時間が経っているものばかりです。
豆腐も昔は朝食用に毎朝買いに行くものでした。
牛乳もパックではなく瓶に入っているものを運んでくれました。
言うまでもなく現在スーパーマーケットで売られているものよりも美味しかったのです。
今は「本物」が失われつつあります。
今後は、「本物」を知らない世代が“の様なモノ”しか知らずに育ち、いよいよ偽物が本物にとって代わる時代が来るかもしれません。
肉は培養肉に、魚は養殖ばかりになるかもしれません。
今回、長年連れ添ったと言っても過言ではないお米屋さんが廃業するにあたり、まるで長年の戦友「同期の桜」が散ってゆくようで失望感が酷いです。
お前と俺は運命共同体ではなかったのか?と心で嘆いております。
しかし仕方のないことです。
一番悔しくて辛いのはお米屋のご主人でしょう。
親子で受け継いできた看板を下ろさねばならない苦渋の決断はどれほど辛かったことか。
弊店も他人ごとではありません、いつ暖簾を下ろす時がくるやもしれません。
その時ご常連がどれだけ悲しむことか・・・。
それを想像するだけでも心が張り裂けそうです。
廃業してしまうお米屋さんには「お疲れさまでした」としか言えませんでした。
悲しんでばかりはおれません、早急に後継店を見出し現在と同じお米を納入してもらえるよう働きかけねばなりません。
「継続は力なり」とは申しますがその力は色々な意味を持つのではないかと考えるのです。
お金も力でしょう、精神力も然り。
その中でも(物販でも飲食でも)店にとって力となりえるのは支えてくださるお客様かもしれないと強く感じております。
前述しましたが、ご常連のお顔を思い出すたびに
「質を下げてはいけない、今よりもっと精進せねばならない」
とご常連を悲しませないようにがっかりさせないように弛まぬ努力を続けてこそ、継続できるのではないかと・・・そう思うのです。