握り鮨の始祖と言われる“華屋与兵衛”が記した「鮨のつけかた」(つけかた=作り方)という本の中に《イカの酢漬け》という項目があります。所謂《酢〆のイカ》です。
これを目にしたときに『生イカを〆る???』ととても不思議に思ったのでした。
しかし筆者の友人が以前から『駄菓子で酢イカ(よっちゃんイカ)があるから、イカを酢〆にしてもイケるんじゃないか?』と提案してくれていました。そんなこともあり、いつかは試してみようと心にとどめておりましたが、その与兵衛の指南本をよく読むと「使うイカはマイカを使う」と記述が・・・。
マイカ?
筆者は20年以上魚河岸をくまなく歩いていますが、マイカというイカは見たことも聞いたこともありませんでした。今の時代ですからインターネットで検索してみましたが「ある地方ではスルメイカのことをマイカと呼ぶ」等と出てくるばかりで、マイカそのものにヒットしませんでした。
そうなるとイカの酢〆の試作意欲も低減するばかりで、そのうち忘却・・・とまではいかずとも、あまり気にしなくなってしまったのです。
ところが2025年の年末に事は急展開します。年末進行で店も自身も忙しい最中、豊洲の魚河岸をいつも通り見て回っていると、馴染みの店先に真っ黒な中にイカが入っている箱を見つけ、『なにこれ、スミイカ?それにしちゃ黒すぎるね、物凄く墨を吐いてるね』と何気ない声をかけたところ『違うよ、それはマイカだよ』と返答。
『マイカ!?マイカって存在するの!!??』
もう驚きと感動でその場に立ち尽くしました。
『箱の横に書いてあるじゃん、マイカって』店の兄さんは軽く言います。
『いやぁ~・・・数年前からずっと探していたけど、そっかぁ~本当にいるんだ・・・』
しかしその時は年末で色々と仕事が立て込んでいましたので買うことはできなかったのです。
泣く泣く見なかったことにして店先を後にします。
魚河岸から帰ってきても買っておけばよかったのか?などと後悔の念がありましたが、件の店は箱売り(まとめ売り)しかしない仲卸なので、マイカを一杯などと売ってくれません。
買うとなると一箱5㎏で買うしかないのです。年末の忙しい最中、5㎏のイカの処理はやっていられないので、やはり買わなかったことは間違いではありませんでした。
しかしそれでも・・・。(こういう時に若い衆がいると良いのですが)
そんなこんなで慌ただしい年末を乗り越え新年を迎え、またいつも通り豊洲の魚河岸へ行く日々が始まります。
1月になって二週目でしたか、件の店先を通るとマイカがあるじゃないですか!!!
『お!マイカ!マイカだよね、また入った(入荷した)んだ!今日は一枚(一箱)もらっていくよ』
『そう?んじゃ***円』(この場合の値段は㎏あたり、つまり***円×5㎏です)
『え?年末は***円だったじゃない』と少々駄々をこねました(苦笑)。
そしたら『わかったわかった、んじゃ***円』と少し安くしてくれたので、値切ってみるものだな、と。
あぁしかしこれは馴染みの店だからできることであって、初めての店で値切ると(下手すると)出入り禁止になりかねません。
話が逸れるかもしれませんが、飲食店も同様で初めて訪れた店であれこれわがままを言うと、その店の人に嫌われてしまいます。
江戸時代の作法ではありませんが“裏を返す”というのは本当に大事なことだと思います。
常連客になりたければそういうことでしょう。
話を戻しましょう。
マイカを手に入れた筆者は意気揚々と店にもどり下処理をします。
そこで初めて気づいたのですが、マイカは甲イカの仲間で見た目にはスミイカと似ていて、ちょっと見ただけでは見分けがつきません。
黒く汚れた墨を水で綺麗に洗い流してよくよく見ると、スミイカとマイカでは文様が違うことがわかります。
また包丁を入れて中の骨(カルシウムの塊のようなものがあります)をよく見ると、これまたスミイカとマイカでは相違がはっきりとわかりました。
それでも姿形は同等なので特別な仕事はなく、普段通りの処理で事足りました。
さて、いよいよ“華屋与兵衛の指南本”にあるイカの酢漬け(酢〆)に挑戦です。
先ずは指南本通りに作りました。
しかしこの作り方だと味が全くしない・・・というか薄いのでした。
この時筆者は『現代人の自分は濃い味に慣らされていて、江戸後期から明治時代の日本人の味覚とは違うのでは?』と思い至るのです。
勿論筆者も料理人ですので馬鹿舌ではないと自負しておりますが、それでも味が薄すぎてハッキリしないのは如何なものかと・・・。
そしてそれからが試行錯誤の連続でした。
塩を当てる時間を変えてみたり、酢に漬ける時間を変えてみたり、酢の調合(指南本では甘酢にすると記載されている)を変えてみたり・・・。
何回か試作を繰り返して4度目の試作品で、ようやく現代の神田笹鮨で提供できる味になりました。
試作した“イカ酢〆”をご常連の方々に都度試食していただきましたが、概ね好評価だったので〆もののラインナップに名を連ねることになりました。
弊店で“イカの酢〆”を握る際には包丁目を細かく入れて、さらに“芝エビのおぼろ”を忍ばせます。
この“おぼろを忍ばせる”というのは指南本には書かれておらず、筆者の独断です。
生イカの握りも甘みを感じて大変美味しいですが、酢で〆た(漬けた)イカも歯ごたえがあり、あるご常連曰く『これはイカを喰ってる!!という感じがするね』と仰っていました。
見た目重視の派手な鮨が流行っている昨今、仕事をした風に見せて全く仕事になっていない鮨を見るたびに、現代鮨事情に危機感を覚えますが、弊店は地味で面白くないかもしれないネタでも“温故知新”を意識し、昔やっていた仕事を現代に復活させ、本来の鮨というものを再認識すべきとの思いを強くしております。
従来から弊店では、現代の多くの鮨屋がやらなくなってしまった仕事を気を衒う(てらう)ことなく、当たり前を飾らずに創業時からの仕事を実直に伝えております。
〆もの好きな方は是非一度弊店の江戸前鮨をお試しください。
ご来店をお待ち申し上げます。